F−15とP−3Cの国産品初度調達の回想(案)

元調達実施本部契約第4課長  宝珠山    昇  

 防衛庁中央調達部門の50周年を心より祝し,今後の発展を祈念します。あわせて戦後の逆風の中で創設、運用、発展に尽力された数々の諸官のご労苦に深く敬意を表し、末永いご健勝をお祈り致します。
 ここでは、変動為替相場制の下での超大型プロジェクトを担当した時(昭和53年6月1日〜54年11月20日)に経験したこと等を中心に記して、「中央調達50年史」編集部の要望に応えることとします。

1 調本とのご縁は、業務面では、装備局航空機課に航空自衛隊担当として勤務していた時に、TCRの凍結解除や東京螺子事件等などでお世話になっていたので、4年ぶりであった。
 上司との関係では、玉木清司本部長は人事局人事第一課時代の上司・課長、吉田 実総務担当副本部長は航空機課時代の上司・課長、山下雅巳原計第4課長は防衛局計画官室時代の先輩・同僚であった。
 さらに、F−15とP−3Cは、調本に着任する前の防衛局防衛課勤務中にこれらの選定作業や予算要求に関わっていたので、感慨深いものであった。

2 昭和53年度のF−15とP−3Cの調達業務は、@ 初度調達であり、以後長期にわたり継続される巨大プロジェクトである、A 多額の外貨建費目を含むものであり、変動為替相場制の下では従来の特約条項は適応できない、B 長年にわたり係争中の飛行試験中の危険及び損害負担問題の解決が要請されていた、という三つの困難な問題を抱えていた。着任早々からこれらを併行して検討・協議しなければならなかったが、参考にできる「前例」は少なく、模索が続いた。

3 ライセンス製造の初度調達につきものの大きな課題は「製造分担」の決定である。もちろん、契約第4課で決め切れる問題ではないが、関係各社が以後の長期にわたる仕事量の確保と最先端技術の習得を狙ってする受注競争を先ずさばかなければならなかった。
 最も競争の激しかったのは、以後の航空機の製造技術の中核として発展すると見られている部位の製造分担をどうするかであった。後に「大岡捌き」だと評価される契約第四課案をギリギリの9月21日に提示し、装備局を通じて「決裁」を得て、28日に両社へ通知した。

4 為替リスクの問題は、7月6日に本部長より「特命」を受けて担当することになったが、製造分担の課題よりもはるかに解の見出し難いものであった。
 それまでの外貨建費目の為替リスクに係る特約条項は、@「為替差益が発生した場合は当該金額を契約金額から減額し」、A 「為替差損が発生しても契約金額の変更はしない(すなわち企業側の負担となる)」、という不条理なものであった。外貨建費目が少ない、あるいは、小さいものであれば、邦貨立て部分の利益でカバーできると見込むことなどにより成約できるが、この巨大プロジェクトでは、それは不可能だった。

 為替予約については、将来円高になった場合に説明責任を取れないとする意見が大勢で採択できなかった。また、当時の先物市場はこれらの長期の巨額プロジェクトに対応できるかどうか自信が持てない面もあった。
 主契約企業のみならず、航空宇宙工業会や外国為替専門銀行の協力を得て、これもギリギリの3月23日「為替リスク対策案」を提示し、27日に調達要求元、すなわち各幕僚長の公文書による了解を経て、同日「為替リスク対策特殊条項」を提示し、関係各社は「対策の詳細を公文書により確認されること」を条件として了解した。

5 飛行試験中の危険及び損害負担の問題は次のような経緯になった。着任時には第一審で勝訴しても、敗訴しても、重大な課題になるものとして引継ぎを受けた。関係の専門家でチームを作り緊密に協力して解決案を何度か具申した。しかし調本の上層部は極めて慎重であった。
 会計検査院へのこの件の何度目かの説明の相談に行ったとき(54年11月14日)、本部長から説明の延期を指示され、その日の夕刻人事異動の内示を受けた。こうしてこの問題の最終決着は、在任中にはできず、後任の前田駿作課長に委ねて20日転出した。
 この課題の検討を通じて最も奇異に思われたことは、防衛装備品調達の権限と責任を有する官庁・調達実施本部がその固有の権限行使について他官庁に意見を求めようとする姿勢があることであった。