「年次改革要望書」のこと 
村 田 一


日本を属国にするアメリカ - 渡部 亮次郎

 投稿者:N.Hoshuyama  投稿日:2009年10月11日(日)09時37分14秒
わたなべりやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 1695号 平成21(2009)年10月10日(土)より抜粋。

日本を属国にするアメリカ:渡部亮次郎

最近知り合いになった公認内部監査人(CIA)・公認情報システム監査人村田一さんが書いた「「年次改革要望書」のこと」ご存知ですか(埼玉県私塾協同組合広報誌 SSK Report 2009・4号)によると郵政民営化政策を始め弁護士増加、建築確認の民営化など、このところの「改革」と称する政策は、すべてアメリカの要求に屈したものだった。

だから村田さんは言う。

<4年前の総選挙で「郵政民営化は構造改革の本丸である」として小泉政権が掲げた「構造改革」に期待したにも拘わらず、様々な痛み、地方経済の疲弊、派遣労働者の増大など、失望感の大きくなったことが「政権交代」となった。

いまや悪者扱いとなった「構造改革」は1993年の宮澤政権時代に始まっており、その淵源には宮澤・クリントンによって始まった「年次改革要望書」の存在がある>。

年次改革要望書は、日本政府と米国政府が両国の経済発展のために改善が必要と考える相手国の規制や制度の問題点についてまとめた文書で、毎年、日米両政府間で交換される。

1993年(平成5年)7月の宮澤喜一首相とビル・クリントン米大統領との会談で始まったものとされている。『拒否できない日本』によれば、最初の要望書は1994年(平成6年)であった。関岡英之 『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』(文藝春秋 2004年4月21日 ) ISBN 978-4166603763

爾来「成長のための日米経済パートナーシップ」の一環としてなされる「日米規制改革および競争政策イニシアティブ」に基づきまとめられる書類であるが、マスコミはなぜか取り上げないから国民の大半は知らない。国民の知らぬところで結ばれた国家の約束は文字通り「密約」である。しかも毎年交わされているらい。

正式には「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書」(The U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative)という。なお、交換後は、それぞれの要望書について作業部会、上級会合の場で日米間で議論のち、日米共同の報告書をとりまとめることとなる。

最初の「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書」(年次改革要望書)が作成されたのは平成13年(2001年)であるが、これは先行する「日本とアメリカ合衆国との間の規制緩和に関する対話に基づく双方の要望書」の枠組みが現行のイニシアティブの形式に整えられたことによる。

双方の要望書は両国政府によって公開されており、日本から米国への要望書については、外務省のウェブサイトにおいて公開されている。

同様に、米国から日本への要望書については、駐日米国大使館のウェブサイトに日本語訳されたものが公開されている 、というが、それを開いてみる一般国民はいない。

米国側からの要望が施策として実現した例としては、建築基準法の改正や法科大学院の設置の実現、独占禁止法の強化と運用の厳密化、労働者派遣法改正、郵政民営化といったものが挙げられる。

米国政府からの要望で実現していない項目としては、再販制度・特殊指定の廃止・ホワイトカラーエグゼンプションが挙げられるが、年次要望改革書では引き続き取り上げられている。

一方、日本側からアメリカ側への要望が実現しなかった例は、BSE(牛海綿状脳症)に関しての全頭検査の実施などである。

アメリカ政府による日本改造と非難されるのは当然である。

関岡英之は年次改革要望書はアメリカ政府による日本改造という観点から注目し、アメリカによる日本への年次改革要望書の性格は、アメリカの国益の追求という点で一貫しており、その中には日本の国益に反するものも多く含まれているとしている。

衆議院議員小泉龍司(2005年9月の総選挙で落選)は、2005年(平成17年)5月31日の郵政民営化に関する特別委員会において、要望書について「内政干渉と思われるぐらいきめ細かく、米国の要望として書かれている」と述べている。

郵政民営化は郵便貯金や簡易保険などの国民の財産を外資に売り渡す行為であるとし、また三角合併解禁については時価総額が大きい外資が日本大手企業を買収して傘下に置き易くすることを容易化する行為として、外資への売国的行為とする意見がある。

年次改革要望書で言及されている医療改革は、外資系保険を利することが目的となる一方で医療報酬減額や患者の医療費負担増大が医療崩壊に繋がっていると指摘されている。

1999年の労働者派遣法改正により日雇い派遣が原則解禁となったが、労働環境の不安定化という社会問題を生み出している。

竹中平蔵郵政民営化担当相は2004年10月19日の衆議院予算委員会で小泉俊明の「(年次改革要望書を)御存じですね」という質問に対し、「(年次改革要望書の存在を)存じ上げております」と答弁した。

2005年6月7日の衆議院郵政民営化特別委員会では、城内実の「郵政について日本政府は米国と過去1年間に何回協議をしたか」、「米国の対日要求で拒否したものはあるか」という質問に対して、竹中大臣は米国と17回協議したことを認めるも、対日要求についての具体的言及は避けた。

郵政法案の審議が大詰めを迎えた2005年8月2日の参議院郵政民営化に関する特別委員会で櫻井充の「(年次改革要望書に)アメリカの要望として日本における郵政民営化について書かれている。(中略)国民のための改正なのか、米国の意向を受けた改正なのか分からない」という質問に対し、

竹中大臣は「アメリカがそういうことを言い出す前から小泉総理は(もう10年20年)ずっと郵政民営化を言っておられる。アメリカはどういう意図で言っておられるか私は知りませんが、これは国のためにやっております。(竹中は和歌山市の下駄屋の息子。なぜだか矢鱈な平等主義者である。小泉の懐に棲みついた)。

このまあ1年2年ですね、わき目も振らず一生懸命国内の調整やっておりまして、アメリカのそういう報告書(年次改革要望書)、見たこともありません。私たちは年次改革要望書とは全く関係なく、国益のために、将来のために民営化を議論している」と述べた。

日本の内政との密接な関係。誰がどう、言い訳しようと宮澤内閣以来の「改革」と称する政策のすべてはアメリカ国務省(外務省)の要求に屈したものだった。

1997年 独占禁止法改正・持株会社の解禁

1998年 大規模小売店舗法廃止、大規模小売店舗立地法成立(平成12年
(2000年)施行)、建築基準法改正

1999年 労働者派遣法の改正、人材派遣の自由化
2002年 健康保険において本人3割負担を導入
2003年 郵政事業庁廃止、日本郵政公社成立

2004年 法科大学院の設置と司法試験制度変更
2005年 日本道路公団解散、分割民営化、新会社法成立
2007年 新会社法の中の三角合併制度が施行

報道で年次改革要望書がほとんど扱われていないことについて、

関岡英之、城内実らから は、以下の点から、年次改革要望書に関する報道が広く国民に充分になされていないのが事実だとしている。

建築基準法の改正提言には、アメリカ政府の介在がひとことも書かれておらず、法改正の新聞報道でもいっさい触れられていない。

年次改革要望書の全文が日本のマスメディアで公表されたことはない。

郵政民営化をはじめとする構造改革の真相を国民が知ることとなったら暴動が起きかねないので、マスコミ対策は用意周到になされていた。郵政民営化に反対する政治評論家森田実が、ある時点からテレビ局に出演できなくなった。

『しんぶん赤旗』・一部夕刊紙以外の主要マスコミでは『年次改革要望書』が発表された事実そのものの報道もなされない。国会議員が国会で問題にしても、なぜか全国紙やテレビ局の政治部記者からは一件の取材もない。

アメリカ合衆国政府の主張(言い訳)

国務省で経済・通商分野を専門に担当したジェームス・ズムワルトは、小林興起(通産省出身の衆院議員。現在は民主党)から「『年次改革要望書』を日本に突きつけ、さらにその達成 achievement を強く求めている張本人key peroson の1人」と名指しで指摘されている。

2006年4月、ズムワルトは小林との対談で、日本の内閣がアメリカの年次改革要望書の言いなりだとする指摘に対し、否定的な見解を示した。

年次改革要望書を提示する理由について、ズムワルトは、日本の経済成長はアメリカにも利益を齎すと説明し、日本経済低迷の一因は規制の多さにあるため、その撤廃を年次改革要望書で求めているだけだと述べている。

アメリカはあくまで「日本のしたいことを応援するスタンス」であり「小泉さんが考えていることの応援のつもりというのが基本的なスタンス」だとしていた。

その上で、年次改革要望書とは「日本の成長が最大の目標」であると説明し、日米の利害が激しく対立した日米構造協議などとは全く事情が異なると主張している。よく言うよ。

日本の政府と国会が束になってぶち当たった結果、負けたのではない。外務省のキャリアと称する北米局の役人が、唯々諾々と叩頭外交をして各省に押し付けているだけである。これこそ密約ではないか。

(文中敬称略)2009・10・09 : 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「年次改革要望書」のこと(1)        村田 一

〔1〕はじめに

これから2回にわたって、アメリカ政府から毎年秋に日本政府への要望として提示されている「年次改革要望書」というものを取り上げようと思います。「年次改革要望書」といっても耳慣れない方も多いと思います。実は筆者もつい今年の4月にその実像を知ったばかりです。

「年次改革要望書」とはいったい何なのか、そして、これが現在の日本の政策決定にどのような影響を与えているのか、さらには、今後この「年次改革要望書」をはじめとするアメリカの要求に対してどのように対処していけばいいのか、について、順次考えてみます。

〔2〕世界同時不況の原因はグローバル資本主義の行き過ぎ

日本経済は、昨年秋のリーマン・ブラザーズの破綻に端を発した世界的な金融危機・経済危機の影響を受けて、ここしばらくはマイナス成長を余儀なくされることは間違いなさそうです。

今回の世界同時不況はとても急激でかつ広範囲に及び、しかも日本への影響も甚大になっています。これほどの大きな変化を目の当たりにすると、筆者などは否が応でも、いったいこの経済不況の原因は何だったのだろうか、今後の世界経済、特に日本経済は果たしてどうなっていくのか、日本として何とか有効な政策は打ち出せないのだろうかということに、関心が高まってしまいます。

そうした筆者なりの関心事から昨今のニュース報道や論説を見聞きしてわかってきたことは、どうも、今回の世界経済不況の原因は、グローバル資本主義の行き過ぎにあったのだということです。

すなわち、1980年代に始まった、アメリカ発のグローバル資本主義(=新自由主義、市場原理主義)による経済成長が、1990年初めの東西冷戦の終結を経て世界規模に広がったこと(ロシア、中国など)。

その後、1997年にはアジアを通貨危機に陥れたこと。2000年代になってからは特に金融分野で債券の証券化を通じて、金融経済が急激に膨張したこと。そしてついに、限度を超えてしまったために、一挙に信用収縮してしまったこと。・・・であると。

〔3〕グローバル資本主義への対処の違い

こうしたグローバル資本主義という経済政策をリードして展開してきたアメリカに対して、アメリカ以外の世界の各国はどのように対処してきたのでしょうか。

少なくともドイツ・、ランスをはじめとするヨーロッパ大陸の各国はEU(欧州連合)を組織し統合することで、アメリカに対処してきました。
イスラム圏では、テロや核武装というかたちで、異議申し立てをしてきました。果たして日本はどうだったのでしょうか。

結論からいえば、さまざまな理由はあるにせよ、結果としてアメリカに要求された政策を進めてきた、言いかえれば、アメリカに追従するという政策を選択せざるを得なかった、といえます。日本はまさにアメリカ発のグローバル資本主義を自ら取り込んできたともいえると思います。

〔4〕「年次改革要望書」によるアメリカからの「改革」要求

ではなぜ日本はアメリカに追従するという政策を選択せざるを得なかったのでしょうか。この問いを解くカギの一つが「年次改革要望書」にあります。

「年次改革要望書」とは、1994年から毎年秋に、日米両国間で互いに相手国に対し法律や制度など内政問題について「改革」を要求しあう文書のことで、1993年の宮沢・クリントン首脳会談で合意されたものです。

ところが、この「年次改革要望書」は、アメリカからの要求事項として、個別の産業分野だけでなく、立法、行政、司法の三権にも踏み込む内容を含んでいて、いわば内政干渉ともいえるものになっていたのです。

その後日本政府は、その要求事項の多くを受け入れており、過去十数年の間日本で行われてきたいわゆる「構造改革」は、そのかなりの部分がアメリカの要求に追従したものになっているというわけです。

この事を最初に問題提起したのは、1980年代から1990年代にわたって外国為替銀行の業務を経験されて、その後ノンフィクション作家に転身された関岡英之さんという方でした。

関岡さんは、著書『拒否できない日本』(2004年4月発刊、文春新書)の中で「年次改革要望書」を取り上げて、この10年来の日本の政策はこの「年次改革要望書」従うかたちで進められてきたと説きます。

『拒否できない日本』によって初めて、「年次改革要望書」の存在と実像を知った政治家(しかも与党自民党の政治家に)も少なくありません。かつて『「No」と言える日本』を著わした石原慎太郎(現東京都知事)もその一人です。

こうしたエピソードがあるほど、「年次改革要望書」はそれまで、その存在も実像も一般には知られていませんでした。

〔5〕「年次改革要望書」のルーツは日米経済摩擦

では「年次改革要望書」は、どのような経緯で、生まれたものなのでしょうか。そのルーツを探るには、1980年代の日米経済摩擦にさかのぼる必要があります。以下、関岡説に沿って、「年次改革要望書」に至るアメリカの日本に対する要求の歴史を簡単にたどってみます。

「年次改革要望書」のルーツは、レーガン政権時代の1984年の「日米円ドル委員会」にさかのぼるといいます。このとき、アメリカは対日貿易赤字(円安)を解消するために、「日米円ドル委員会」を設置しその報告書で、日本に金融市場の自由化を迫りました。

この要求に応じて、日本政府は金融市場の自由化を受け入れます。その後も、日本は1985年の「プラザ合意」に従って急速な円高を受け入れるとともに、内需拡大と金融緩和を求められました。1986年「前川リポート」にその具体的な政策が謳われました。この結果、日本経済はバブルに突入して行ったわけです。

1988年の「スーパー301条」ではアメリカによる経済制裁の発動を可能にされ、1989年に始まる「日米構造協議」(Structural Impediments Initiative)では、日本独自の商習慣や流通構造などを「非関税障壁」とされて、改造を求められました。

「構造協議」という名称は日本側の苦心の意訳であり、本来は「構造障壁イニシアチブ」と訳されるべきものでした。実際、アメリカが考える日本の「障壁」の改造を一方的に求められ、日本が考えるアメリカの「障壁」の解消は言いだせなかったといわれています。

〔6〕「年次改革要望書」と「構造改革」

1991年日本経済のバブル崩壊後に、日本政府の政策の柱として推進されてきたものが「構造改革」でした。その大きな到達点に郵政民営化があるので、今では「構造改革」は小泉政権の専売特許のように思われがちですが、すでに、1993年宮沢政権時代から始まっているのです。

その根拠となっているのが「年次改革要望書」で示されたアメリカからの「構造改革」の要求だったわけです。「年次改革要望書」が登場して1十数年の間に、アメリカが取り上げたのもので、その後日本で法改正や制度改正が行われた主なものには、次のものがあげられます。

1997年 独占禁止法改正・持株会社の解禁
1998年 大規模小売店舗法廃止、大規模小売店舗立地法成立、建築基準法改正
1999年 労働者派遣法の改正、人材派遣の自由化

2002年 健康保険において本人3割負担を導入
2003年 郵政事業庁廃止、日本郵政公社成立
2004年 法科大学院の設置と司法試験制度変更

2005年 日本道路公団解散、分割民営化、新会社法成立
2007年 新会社法の中の三角合併制度が施行

     (Wikipedia「年次改革要望書」より抜粋)  
 
こうして並べてみると、これらの改革は日本のためになったものもありますが、かえってあらたに弊害が発生して、その功罪が問われるものもあるのではないかという気がしてきます。

〔7〕おわりに:

ここ十数年における日本の政策「構造改革」とはいったいどんな意味があったのでしょうか、「構造改革」のルーツは日米経済摩擦にあるにせよ、アメリカの基準や要求に従った政策や経済運営、法律の改正は、果たして日本のために良かったことなのでしょうか。そうした疑問は増すばかりです。次回は、こうした疑問に少しでも答えられるような分析を試みたいと思います。(公認内部監査人)


「年次改革要望書」のこと(2)       村田 一

〔1〕はじめに

前回に引き続き、アメリカ政府から日本政府への‘要望書’(=「年次改革要望書」)に関連する話題を取り上げます。

8月30日の衆議院選挙の結果、民主党が過半数を大幅に超える308議席を獲得し、自民党・公明党の連立政権から、民主党・社民党・国民新党による連立政権へと政権交代が現実のものとなりました。

この政権交代に至った理由には様々なものが考えられますが、その中のひとつに、4年前の衆議院選挙で「郵政民営化は構造改革の本丸である」として小泉政権が掲げた「構造改革」に期待したにもかかわらず、その結果、さまざまな痛み、例えば地方経済の疲弊や、派遣労働者の増大など、が顕在化し「構造改革」に対する失望感が大きくなったことがあると思います。

今や悪者扱いされている感のある「構造改革」、その淵源を探って行くと実は、1993年宮沢政権時代から始まっていることがわかります。この「構造改革」が、誰によって何のためにどのようにして進められてきたのかを捜査していくと、その捜査線上に「年次改革要望書」が浮かび上がってくるというわけです。

〔2〕郵政民営化にはアメリカの保険業界の要望が含まれていた

郵政民営化はもともと小泉さんが、1992年に宮沢内閣の郵政大臣だったときに提唱したもので、当時の財政投融資予算(=道路公団や住宅金融公庫などの特殊法人への貸出し)の原資となっていた郵便貯金や簡易保険を民営化すべきであるというものでした。

民営化することで、特殊法人の活動も見直されて、より効率のよい運営ができるという考えでした(道路公団の民営化など)。その後、郵政民営化は小泉さんの悲願となり、小泉政権での重要な施策の一つとなって、実現に漕ぎつけたわけです。

こうした郵政民営化政策の中に、いつのまにかアメリカ政府の要望が組み入れられていました。1995年の「年次改革要望書」で、アメリカ政府は、郵政三事業のひとつ、簡易保険の廃止を要求していたのです。具体的な記述を次に示します。

《米国政府は、日本政府が以下のような規制緩和および競争促進のための措置をとるべきであると信じる。・・・郵政省のような政府機関が、民間保険会社と直接競合する保険業務に携わることを禁止する》

これ以降、アメリカ政府は一貫して簡易保険の廃止を日本に要求しつづけてきました。1999年の要望書では、より具体的な記述となっています。

《米国は日本に対し、民間保険会社が提供している商品と競合する簡易保険を含む政府および準公共保険制度を拡大する考えをすべて中止し、現存の制度を消滅または廃止すべきかどうか検討することを強く求める》

ではなぜアメリカ政府はこうした要求を執拗に日本にぶつけてきたのでしょうか。そこにはアメリカの保険業界からの強い圧力があったのです。

保険という商品は一定の保険料を毎月払いつづけることができる収入を持つ顧客が必要なので、有望な市場は先進国に限られることから、日本に目をつけたわけです。アメリカの保険業界にとって、120兆円を超える「かんぽ」資金は非常に魅力的な市場でした。

もともと簡易保険は、民間の生命保険に加入できない低所得者にも保険というセーフティーネットを提供することを目的として大正5年に創設されたもので、ビジネスというよりは日本社会の安定化装置というべきものです。

それがアメリカ人の目には短なる市場としてしか映らないわけです。こうしたアメリカの要求にやすやすと応じてしまってほんとうによいものでしょうか、大いに疑問が残ります。
 
〔3〕司法制度改革もアメリカの要望だった 

1993年の宮沢・クリントン日米首脳合意に基づき、1994年には第一回の「年次改革要望書」が提出されました。この中に独占禁止法の改正と民事訴訟法手続きの改善という要求項目が盛り込まれていました。

その要求内容は、日本の弁護士数を増やして訴訟をもっと活発化させよということと、外国系法律事務所が日本で事業展開するうえでの規制を撤廃せよというものでした。以降、アメリカは日本に司法制度改革の圧力をかけつづけてきました。

この結果、アメリカの要求に呼応するかたちで、1999年に「司法制度改革審議会」が発足し、司法制度改革が具体的に進むことになったわけです。この動きには日弁連が「裁判員制度」の創設をめざして加わりました。

司法制度改革は大きく分けて三つの柱からなっています。

!)裁判期間を短縮して裁判を迅速化することで国民が気軽に裁判を起こしやすくする。

!)その対策として裁判官や弁護士の人数を大幅に増やす。

!)アメリカ流の陪審員制度(=裁判員制度)をつくり、司法を国民に身近なものにする。

ところが、!)の裁判員制度をアメリカは要求していません。その理由を推察すると、自国の企業が外国企業と争う場面ではアメリカの陪審員は自国の企業に判決を下すケースが多いので、日本でも同様に自国の企業が有利(逆にアメリカ企業には不利)となるとふんだのではないかと考えられます。

また!)!)にしても、当初アメリカが目指したもの、すなわち、裁判を起こしやすい環境を整えたうえで、アメリカ企業がライバルの日本企業を談合や特許侵害で次々と訴えようとしたこと、が実現できるまでには至っていません。これは、明治以来の日本の司法に培われてきた「大陸法」(ドイツ、フランスなどの中央集権的な法体系)の考え方が「司法制度改革審議会」のメンバーの中に根強く残っていたからのようです。

〔4〕1998年に大改正された建築基準法にもアメリカの要望が
 
2005年11月に発覚した耐震偽造事件(姉歯一級建築士が構造計算書を偽造し耐震強度を偽装した事件)は、被害額の大きさ・被害者の多さで記憶に残っている人も多いと思います。

この事件の契機ともいえるのが、1998に大改正された建築基準法で、この改正で建築確認業務が民間業者に開放されたことでした。

このときの改正の基本的な考え方は、規制緩和による選択の自由の拡大であり、具体的には、建築基準をそれまでの「仕様規定」から「性能規定」へ見直すというものでした。あわせて「民間企業・団体による建築確認・検査の実施」が盛り込まれました。

1994年の「年次改革要望書」には住宅分野の要求として、「建築基準法の見直しと性能規定化の迅速化」が明記されていました。1996年の「年次改革要望書」では「要求される書類の削減による建築許可申請の簡素化・迅速化」という要求があります。もともとのアメリカの要求のねらいは、建築基準を「性能規定」に基づくものとすることで、アメリカ産木材製品の対日輸出拡大でした。

こうして建築業界の規制緩和によって、検査の目が行き届かず収益優先の果てに偽装まで行われてしまう事態に至ってしまったわけです。民間業者に委託するとこうした不正リスクを内在してしまうということを思い知らされた事件でした。


〔5〕おわりに 

こうして見てくると、アメリカから「年次改革要望書」で要求されてきたことが、ここ十数年における日本の「構造改革」の政策に反映され実現されてきたことがよく分かります。

今回取り上げた例を見ても、アメリカの要求をそのまま受け入れるのではなくて、日本の習慣や風土に適合するのかどうかをよく吟味したうえで、具体的な法律なり政策に落とし込む必要があることを痛感します。

!)『拒否できない日本』関岡英之 著 文春新書376 2004年4月刊
!)『国富消尽』吉川元忠 関岡英之 著 PHP研究所 2006年1月刊
!)『奪われる日本』関岡英之 著 講談社現代新書1853 2006年8月刊

(公認内部監査人)